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あなたは純粋なる意識そのもの [スピリチュアル]



> 永遠に自由なものとなりなさい
> 永遠に幸福なもの、完全なるものとなりなさい
> そのように在り続けなさい

このところ迷い込んでいましたが、この動画に出会い、久々に気づきについて思い出させてくれました。

以下全文です。

***

本当のあなたは 生まれてくるものでもなければ 死にゆくものでもない
あなたは時間を持たない存在だ
本当のあなたは生まれたこともない
生まれたものとは この世に現れたこの姿と名前だ
時間のない、無限のあなたがこの姿形として現れてきたのだ

あなたは「純粋なる気づき」なのだ
名前も形も超え、去来するようなものも超えた「純粋なる気づき」だ

あなたは、すべての現象を努力することもなく観察しているのだ
もしあなたが、現れてくるものに自分自身を一体化しなければ
あなたは、時間のない本来の自分自身をはっきりと自覚することになるだろう
あなたは、現れているすべて
すべての現象を目撃してるものだ
それらすべてを見ている目 それがあなたなのだ
しかし、このすべてを見ている目 その目は見ることができない
それは形なきものであり 目がそれ自身を見ることはできないからだ

本当の自分になろうと思ったり
どうしたらそうなれるのかと知ろうとしたりすること
そのような考えは捨ててしまいなさい
そうすれば、その考えはあなたから去ってゆくだろう
本当のあなたにとって それは何の役にも立たないからだ
どんな意図・目的にも束縛されないことだ
そしてまた 時間にもとらわれないことだ
将来のいつか何ものかになろうなどと期待しないことだ
そうすれば、時間を超越した本来のあなたが
その姿をハッキリと現してくるだろう

あなたは気づきの光そのもの、意識の光だ
さらにあなたは その光を目撃しているものでもある
その光に照らし出されているもの すべてがあなたなのだ
あなたは純粋無垢な存在だ
すべてのものは あなた自身を通して現れている
過去や未来のことについてのすべての思考
そして今頭に浮かんできていること
これらはどれもこれも あなたの本質ではない
あなたなしでは、それらは存在し得ないけれども
あなたを定義できるものはひとつもない

自分に対して抱いているイメージ(自己像)を信じ込まないことだ
どんな自己概念も作り上げないことだ
あなたはすでに気づきそのものなのだ
あなたの頭は、簡単にはこれを受け入れてはくれないだろう
だとしても、自分は思考を目撃しているものであると理解することだ

あなたは、去来するようなもの 現れては消えるようなものではないのだ
さらにあなたは 進歩したり、成長したりするものでもない
それは意識とマインドの領域に属した自我の性質だ
精力的な自我はいつも拡大しているのだ
拡大している感覚、成長している感覚を持つのは自然なことだ
ある意味、それが存在するものの存在目的とも言える
しかし、本来のあなたは何でも知っているもの
進歩、変化、成長を見ているものなのだ
つまり、あなたは、これらすべてとは別物なのだ
これをよく考えなさい

これと同じことが風にも言える
風はあちらこちらに吹いているが、風を見ることはできない
風に揺れたものが見えるだけだ
これと同じで、名前のあるもの、形のあるものは
存在そのものがもたらした現象だ
結果として、形あるものが見せてくれているのだ
しかし、現象界において本質を目にすることはできないのだ
名前もなく、形のないものが、あなたに張り付くことはできない
名前も形も、あなたがこの世でまとう、つかの間の衣装なのだ

あなたは知識以前に存在し、叡智を知るものなのだ
あなたは記憶以前の存在であり、記憶を目撃しているものだ
あなたは時を超えた存在であり
時間と空間、変化を目撃しているものだ

今話していることは、これからこうなるだろうというような話ではない
あなたとは、本来そういう存在であるという
紛れもない真実を語っているのだ

実のところ、あなたには両親もいなければ子どももいない
友達もいなければ、何一つ所有物もないのだ
これらはみな、あなたを通して現れてきたものだ
あなたはこれら全部が現れる前から存在しているのだ
確かに、彼らはここにいる
この躍動感あふれる世界に現実味を帯びて存在している
しかし、この世界に現れているものすべてはつかの間だ
個性や性別を持ったあなたでさえも、つかの間の存在だ
それらはみな、この現象の世界では当たり前になっている
この人生劇を楽しむがいい
しかし、完全に実相に目覚めて楽しむのだ

あなたは真我であり、唯一の存在
周りのすべての現実そのものだ
すべてはあなたを通して現れているあなた自身なのだ
あなたは生まれることもなく、死ぬこともない存在だ
さまざまな状態があなたを通し現れるだろう
しかし、あなた特有の状態というものはない
これをよく考えなさい

この瞬間、今日という日しか存在しない
もし、自然に任せておけば今日という日は
あなたが本来持つ「調和と平穏」の芳しい香りを漂わせることだろう
自然な流れに沿って行動し、あなたらしく生きなさい
あなたから奪い取れるものは何もなく
また、あなたに足りないものもない
あなたは「純粋な気づき」なのだ

この肉体として現れているもの、思考として現れてくるもの
それらはみな現象に過ぎない
すべての現象は、あなたなしでは現れることができないのだ
あなたがいて初めて認識されるものだ

この世界を良くしようと頑張らないことだ
まず、自分自身を完全に良く知ることだ
そうすれば、あなたの取る行動は
深みから、自然に、真の理解を伴ってあふれ出てくることだろう
そして、その行動こそが恵みとなってこの世界に降り注がれるのだ

永遠に自由なものとなりなさい
永遠に幸福なもの、完全なるものとなりなさい
そのように在り続けなさい

***

あらためて「空(くう)のささやき」http://prayer.space.mepage.jp/sasayaki/frame.html も読み返してみることにします(^^) これはお薦めGOOD!!です。

このブログでは、http://seahorse.blog.so-net.ne.jp/archive/20080201 から紹介しています。
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NHKスペシャル「臨死体験 死ぬとき心はどうなるのか」 [スピリチュアル]

n-supe rinshi.jpg

NHKスペシャルの「臨死体験 死ぬとき心はどうなるのか」を録画して見ました。
<心とはいったい何なのか>について現代の脳科学者が解明に向かって研究が進んでいる様子を紹介していました。

<意識は脳内の膨大な神経細胞のつながりによって生じる>というのが現在の考え方のようですね。

スピリチュアルな考え方をしている私にとっては、この番組は全体として?と思うことが多かったですね。

意識と脳の関係ですが、研究では意識の状態と脳の活動の関連性を見つけ、その関連性が見つかったときに、脳のある状態のときに意識が生まれると結論しています。

これは逆なのではないのか?と私は思っています。
つまり、原因と結果が逆なのではないかと・・・

脳科学では脳が原因であり、意識が結果となっていますが、実は意識が原因となって脳がある状態になっているのではないかと思うのです。

もしかしたら、意識と心(魂)を一緒にしてしまっているのかもしれません。
意識の上、あるいは裏にある、さらに深い意識が脳に影響を与えているのかもしれません。


科学者はとても論理的に物事を考えるわけですが、その論理的な考え方というのは現実世界をまさに<真実の世界>と考えていることに支えられていると思うのですが、その前提が覆ってしまうと物事の見方が変わってしまいます。

それが端的に表れているのが、「それは夢なのではないか」と私たちが言うとき、
現実世界が確かな世界であるのに対し、夢の世界は不確かな世界であって、科学的には取るに足らない世界であるという評価です。

本当にそうなのでしょうか?

私たちが確固たる現実と考えているこの世界こそ、創造された世界に過ぎないのかもしれないのです。
それはあたかも、私たちの想像を絶する超高度に進化したバーチャルゲームに似たものかもしれません。

もしそうだとすると、どんなに進化した<ゲーム>であってもそこには制限が存在することになります。
その制限された世界に住む者が、まったく制限のない世界を想像できるものでしょうか?

私たちが、<夢>と言っている世界は、もしかしたらその制限が存在しない世界なのかもしれない。
つまり夢の世界の方が真実の世界に近いのかもしれないのです。

そして私たちには<制限の中に存在する論理的思考>ではそれを理解することはできないと思うのです。

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ジャラール・ウッディーン・ルーミー [スピリチュアル]

素晴らしい言葉ですね
ジャラール・ウッディーン・ルーミーって
聞いたこともなかったのですが

彼は800年以上も前の詩人だそうです
そんな昔にも私たちを導く人がいたんですね

今、私たちが必要としている言葉ですね


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Be Here Now [スピリチュアル]

いい動画ですね。心が洗われます。

過去にとらわれることなく
未来を憂えることなく
すべてを許し
すべてを受け入れ
いま ここに あるがままに


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スピリチュアル・メッセージ [スピリチュアル]

これらも感動するメッセージですね。

2013年2014年2015年~スピリチュアル・メッセージ



「地球人として生きること」 by. キーシャ・クラウザー


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今、この瞬間の豊かさに生きる [スピリチュアル]

とてもいいメッセージです。
何度も見直したいですね。ブログにメモっておくことにします。


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山を所有することになったのは偶然ではない? [スピリチュアル]

今回、八ヶ岳の山林を所有することになったのですが、これには面白い経緯があります。

住まいの横浜で、親の代から所有している貸地がありました。土地を貸して借りた人が家を建てて住んでいたわけです。
何しろ昔から続いているものですから、少ない地代で固定資産税を払うと利益はほとんどない状態なのでした。
それが急に借りている人の諸事情により。この土地を第三者に譲渡することになりました。

底地分の売買代金が手許に入ることになったので、この売買代金で山の土地を取得できないかなと、ふと思いついたわけです。
そこで、土地の所有者を調べて、とりあえず会って話してみることにしました。意外にも東京の人でした。

アポなしで、直接相手方の家に行ったのですが、<この家かなぁ?>と門の外から見ていたら、いきなり玄関からその所有者の人が出てきました。ちょうど出かけるところだったんですね。間一髪というところでした(^^)

話を聞いてくれるのかな?と思いながら、<山の土地をなんとか譲ってほしい>ということを話したら、「考えてみますね」となんとなく好印象でした。意外な返事?で自分でもびっくりしてしまいました(^^)
以前はよく八ヶ岳に行っていたそうですが、家の事情で、ここ数年八ヶ岳に行くことがほとんどなくなり、今後もほとんど行かないでしょう・・・・とのことでした。
1か月後、OKの連絡をいただき話が進んだわけです。

<偶然その1>
当初、貸地の譲渡価格は山林の取得価格より低いと思われたのですが、いざ競売で売渡が決まると、何とわずかに高く売れたのでした。仲介手数料を払った後の金額がほとんとピッタリだったのです。
そんなわけで、手付金も同額だったので、こっちからあっちへと横流し状態で済んでしまった。

<偶然その2>
それぞれの取引の日程調整をしたわけでもないのに、2つの売買契約は1日ずれただけだった。

<偶然その3>
これも日程調整したわけでもないのに、約1か月半後、それぞれの契約の売買代金の受領と支払が同じ日に行われた。

<偶然その4>
貸地の譲渡先の人と、山林の所有者の人の名前(苗字)が同じだった(ウソみたい)


よくスピリチュアルでは、<世の中に偶然などというものはない。すべては起こるべくして起こっている。>と言いますが、今回は本当にそれを感じました。
あの山林は私にとってやはり必要だったんでしょうね。

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神など存在しない [スピリチュアル]

また神の名において人が殺されています。
いったいどうして人を殺しなさいという神が存在できるのだろう?

私たちはあらためて知らなければならない。<神など存在しない>ということを・・・

私が好きな言葉に、
「神は神に似せて人間を創った。そして、人間は人間に似せて神を創った」
というものがあります。
そう、私たちが信じている神というのは、私たちが勝手に創り出した存在にすぎません。

その神は、人間社会のさまざまなことに、善と悪とを区別しています。
「何々をすることはいけない」、「何々をすることはいいことだ」、というものです。
悪を憎み、善を勧める神です。

悪を憎むということから、神は悪行には罰を与えるという発想が生まれます。
でも、そんな神は存在しないのです。

私たちが創りだした神は、人間の親子の関係そのままです。
親は子供にいつも言います。
「何々をしてはいけない」「何々をしなさい」と。
そして言うことをきかない子供には罰を与えるのです。

この発想の延長線上に今の神がいます。
欠点だらけの人間を、正しく導く全能の存在として、
神は人間によって創造されました。

その創り出された、親である神と、子供である人間の関係を
私たちは神聖な関係として教えられます。
そのことで、また、子供に対する親の立場を正当化し、強化しています。
私たちは神聖な関係を創り、それを利用しています。

もう、私たちは考え直すときです。
善悪を判断する神など存在しないということを。

なぜなら、神というものが存在したとしても
神はすべてを愛し、許す存在であるはずだからです。

すべてを許す神など、いるわけがない・・・
それが私たちの想像の限界のようです。

だから、神はいつまでも
まるで人間と同じような性格を持った存在になっています。

神はいない。
でも生命というものがあるのを私たちは知っている。
その生命そのものが神と考えられないだろうか?
生命が私たちに、何かを願ったり、強いることはあるだろうか?
それはないだろう。
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メーテルリンクの「青い鳥」 [スピリチュアル]

何度か紹介しましたが、メーテルリンクの童話の「青い鳥」はとても奥深い内容です。
私たちに、しなければならないことは何もない、そこにいなさい・・・・
青い鳥の話はそんなことも含んでいるような気がします。

http://hukumusume.com/douwa/pc/world/03/01.htm より

 むかしむかし、あるところに、まずしい二人の子どもがいました。
 お兄さんの名前はチルチル、妹の名前はミチルと言いました。

 クリスマスの前の夜のことです。
 二人のへやに、魔法使いのおばあさんがやってきて言いました。
「わたしの孫が、今、病気でな。しあわせの青い鳥を見つければ病気はなおるんじゃ。どうか二人で、青い鳥を見つけてきておくれ」
「うん、わかった」
 チルチルとミチルは鳥カゴを持って、青い鳥を探しに旅に出ました。

 チルチルとミチルがはじめに行った国は、『思い出の国』でした。
 二人はこの国で、死んだはずのおじいさんとおばあさんに出会いました。
「人は死んでも、みんなが心の中で思い出してくれたなら、いつでもあうことができるんだよ」
 おじいさんは、そう言いました。
 そして、チルチルとミチルに、この国に青い鳥がいることを教えてくれました。
 ところが、『思い出の国』を出たとたん、青い鳥は黒い鳥に変わってしまいました。

 チルチルとミチルは、つぎに病気や戦争など、いやなものがいっぱいある『夜のごてん』に行きました。
 ここにも、青い鳥はいました。
 でも、つかまえて『夜のご殿』を出たとたん、青い鳥はみんな死んでしまいました。
 それから二人は『ぜいたくのごてん』や、これから生まれてくる赤ちゃんがいる『未来の国』に行きました。
 どこにも青い鳥はいましたが、持ち帰ろうとすると、みんなだめになってしまうのです。

「さあ、起きなさい。今日はクリスマスですよ」
 お母さんのよぶ声が聞こえました。
 目を覚ますと、二人は自分たちの部屋のベッドの中にいました。
 青い鳥を探す旅は、終わったのです。
 チルチルとミチルは、とうとう青い鳥をつかまえることが出来ませんでした。

 でも、チルチルとミチルが、ふと鳥カゴを見ると、中に青い羽根が入っているではありませんか。
「そうか、ぼくたちの飼っていたハトが、ほんとうの青い鳥だったんだ。しあわせの青い鳥は、ぼくたちの家にいたんだね」
 二人はお互いに顔を見合わせて、ニッコリしました。

 魔法使いのおばあさんは二人に、しあわせはすぐそばにあっても、なかなか気がつかないものだと教えてくれたのです。
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神って何なの? [スピリチュアル]

神との対話シリーズの本が好きで紹介したりしていますが、<神>という言葉に対するイメージってあまり良くないですよね。実は私も一般的なイメージで使われる<神>という言葉は好きではありません。

「あなたは神を信じますか」と聞かれたとしても、聞いている人の神のイメージは私がイメージする神とは違っているので、「あなたが言う神とは何なのですか?」と聞きたいくらいです。

例えば、私が紹介している本は、著者と神が対話をしているという内容になっているのですが、この形式を見ると、まるで神という人格のあるものが私たちとは別のところにいる・・・・と思ってしまいますね。
でも、そのこと自体が<でっちあげ>と見ることもできる、と対話の神自身が言っています(^^)
つまり、著者の想像の産物であると言っても構わないということです。

これはどういうことかというと、「光のメッセージ」(ミカエル著)という本に書かれていることがよく説明してくれています。
<私はあなたの想像できる範囲であなたのものに現れる。もし私があなたの想像をはるかに超えた形であなたのもとに現れたのなら、あなたは私に気がつかないだろう>

つまり、私たちが神をイメージすると、そのイメージのとおりの神が現れるということですね。
ある意味私たちが神を創造しているようなものです。


キリスト教では、神は私たちとは別の崇高な存在になっていて、私たちが常に外から見上げる存在になっているので、神に関わる話になると<私たち>対<神>という構図になってしまいます。
ですから、「神との対話」はそのような確固な認識を持っている人には<想像しやすい>わけで、このような形式の本ができるわけですね。

でも、神に人間と同じような人格を与えてしまうことは、誤った理解につながりやすいと思います。
ですから、特定のイメージを与えてしまう<神>という言葉を使うことは注意しないといけないわけです。

私は代わりに<生命>とか<宇宙>とか<すべての存在>という言葉が好きですね。
その本質は<愛>であり、<自由>であり、<永遠>であるわけです。

こうしたことを、想像の産物?である神から学びました(^^)

utyu.jpg

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限られた一体感 [スピリチュアル]

先日、仕事関係の人から、「オリンピックのために寝不足になりませんか?」とか聞かれて、
「いや、私は全然見ませんからそんなことはありません」と答えました。

4年に1度のオリンピックは盛り上がっていますが、私はオリンピックは好きではないですね。
同じくあまり興味のない同窓会の幹事をやらなければならない年でもあり、4年に1度の我慢?の年かな(^^;


ものごとは良いも悪いもなく、ただそこに現れ、私たち自身がそれに意味づけをして、良いこととか、悪いこととかの判断を下しています。ものごと自体に良い悪いはなく、ただ存在しているだけ・・・なのです。
自分以外の他の人は、自分とは異なる選択、異なる意味づけをしていることもあります。

究極的には、過去から未来へと流れる時間は存在するわけではなく、<永遠の今>が存在するだけです。
同時に存在するすべての時間の中から、どこかの瞬間に私たちが焦点を当て、その瞬間の<今>を経験しています。


オリンピックになると、私たちは<日本人である私>に焦点を合わせます。
だから、日本がメダルをいくつ獲得した・・・ということに気をもむわけですが、どこに焦点を当てるかによって見方はまったく変わります。
あなたが、日本人であっても、幼い頃からイギリスで育ち、そのまま暮らしていたら、イギリスに焦点を当てていることでしょう。
私たちは、ただひとつに焦点を合わせているだけです。どこに焦点を当てるか、それは私たちの自由です。


この時期になると、周囲では盲目的?に同じものに焦点を当てることで、私たちは<ひとつ>になっているような<錯覚>に陥りますが、本当は<ひとつ>になっているのではなく、あることだけに焦点を当てることにより、それ以外のものとの区別を際立たせているだけではないだろうか?

私はオリンピックの度に分離感を感じてしまいます。それがとても心地悪いのです。
私たちは、もっと1歩引いた視点から冷静にものごとを観ることが大切なのではないだろうか?
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約束を守ることはできない [スピリチュアル]

ビジネスの世界というのは、人生の中の限られた一部であることを私たちはときどき忘れてしまう。
あまりにもビジネスの世界に没頭するあまり、人生そのものをビジネスと同じマニュアルで生きてしまうことがあります。
でも、それは限られた世界のことであることを忘れてはならない。

ここで言っているのは、<約束や誓いを破ってはならない>という私たちの常識、マニュアルは、はたして本当なのだろうか?ということです。


前にとても大事な言葉として、<神、生命、愛、無制限、永遠、自由>はイコールであり、
それが私たちの魂そのものである、ということを紹介しました。
そう、私たちの本質は<自由>なんです。束縛は私たち自身を否定するものなんですね。

そして、<すべてのものは変化する。唯一変化しないのは、ものごとが変化するという事実そのものである>
という言葉があります。

私たちは成長とともに変化をします。
だから、一時の約束、誓いに束縛されるということは、変化することを否定しなければならないのですが、
それは不可能なことですね。

ここで、また前の言葉の重要さを理解します。

<他人を裏切らないために自分を裏切ること、それも裏切りだ。それは最高の裏切りだ。>
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とても大事な言葉 [スピリチュアル]

前に紹介している言葉は、いつも忘れないでいたい言葉です。
何かあったときは、思い出してみます。

神、生命、愛、無制限、永遠、自由

これらはすべて、イコールでつながるということですね。
そして、最後にイコールでつながるのが、<私>ということになります。

どれか一つを否定するときは、
同時に他のすべても否定していることになるわけで、
私たちはほとんど否定の中で生きています。

そのことにまず気がつくのがスタートですね。
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タンゴ選手権で思ったこと [スピリチュアル]

最近シリウスのホームページのメッセージを読み返していますが、結局、何度も何度も同じメッセージを伝えています。それは、
<自分が選択をすること>・・・・、これに尽きるようですね。


昨日、タンゴのアジア選手権があって見に行ってきたのですが、このことをあらためて認識しました。

アルゼンチンで発祥したタンゴというダンスは、長い歴史の中で踊り方やスタイルがさまざまに変化してきたと思うのですが、現在多くの人が認めるタンゴのスタイルというものがあるんですね。
ですから、順位を決める大会などでは、その基準に沿って審査が行われるわけですが、これも、あくまで<今現在の基準>としか言えないわけです。

他のダンスでもそうなのですが、ダンスというのは時代とともに変化するものです。
ある程度、基準というものが存在する場合もあれば、まったく自由に踊られるダンスもあります。

そもそもダンスは自由に踊るものだと私は思っています。
ですから、国により、地域により、個人により、そして時代により、それぞれ踊りたいダンスを踊ればいいと思うのです。
カップルダンスなら、自分と相手が楽しく、気持ちよく踊れること、見せるダンスなら見ている人を感動させること、それだけが目的だと思います。


ところが、ダンスで順位を決める、となると話が変わってきてしまうわけで、
比較をする手段として、どうしても、それらしい基準を作らなくてはいけなくなってくるわけですね。

そのときに、自分が踊りたいダンスを追及するのか、他の人に認めてもらうために、基準という制約の中のダンスを踊るのか? の選択を強いられるわけですね。


スピリチュアルなものの見方をすれば、答えは明らかです。
<自分がワクワクすると思うこと、本当にやりたいと感じること>それが自分の進む方向、選択すべき道です。
それは、<自分の感情>が決める、ということなんですね。

一方、他の人に認めてもらうため、となると、そのことによって得られる利益、メリットを計算するわけで、それは<理性が決める>決断だということになります。


今回のタンゴ大会を見ていても、私が感動したダンスと、審査員による順位結果とは異なるわけですが、そういうものなんですね。

前にも書いたことがありますが、オリンピックのフィギアスケートの競技の中での演技よりも、すべてが終わった後のエキシビションでも演技の方が、伸び伸びとした喜びに満ちていて、見ていて感動するのと同じです。

順位に拘らず、自分が本当にやりたいダンスをするときの方が人を感動させるんですね。

そんなことを、今回のタンゴ選手権で思いました。
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信じることを体験するということ [スピリチュアル]

>「唯一の偉大な真実」は存在する。究極の現実はある。
> だが、その現実とはかかわりなく、いつもあなたがたの選択どおりになる。

前のメッセージで、<地獄は存在しない、でも経験はできる>
と書いてありましたが、そういうことですね。

私たちが考えること、思うこと、信じること・・・、
それらは私たちに経験というかたちで創造されるんですね。

前にも書いたけど、自分が幸せだと思っている人は新たな幸せの体験をするだろうし、
自分が不幸だと思っている人は、さらなる不幸の体験をすることになるのも同じことですね。

1杯の水に見向きもしないこともあれば、同じ1杯の水に涙するほどのありがたさを感じることもある。
生きているだけで幸せと感じる人もいれば、生きていることの意味を失い自ら死を選ぶ人もいる。

そこにあるものは同じでも、私たちはさまざまな体験をするわけで、
それは私たちが信じているとおりの体験になる、と言っているわけですね。
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今幸せですか? (パラダイムの逆転) [スピリチュアル]

私たちは心地いいものに惹かれる。
陽気であったり、感動したり、癒しを与えてくれるものに惹かれる。

そういう<波動>に触れると、自分も共鳴して同じ<波動>になっていくのを感じる。
そのとき、心が落ち着き、安らぎ、心地の良さを感じる。

「あなたはどんな人が好きですか?」という質問は良くされることですが、
今の私だったら、「今幸せな人」と答えるだろう。

自分が幸せだと思っている人は、その波動の延長で行動します。
だから、その行動はいつも周りに良い影響を与えます。
そのことが、さらに良い結果をもたらします。

自分は不幸だと思っている人は、常に不満を抱いていて、その波動を周りに広げます。
だから、周りの人にまで不安を与えてしまいます。


もし、「こんな人が今いてくれたら、私は幸せになれるのに・・・」
と思っている人がいるとしたら、その人は、今幸せではないということですね。

でもきっと、その待望の今の私を幸せにしてくれると思う人が現れても、
その幸せは長くは続かないかもしれない。

「もっと幸せになるためには別の何かが必要だ」と
いつまでも幸せになるための<新しい条件>を創ってしまいそうだからです。
幸せではいられない状況を自ら創ってしまいます。

神は私たちに創造する力を与えたといいます。
だから、自分が今幸せではないと思うと、幸せではない状況を創り続けます。
自分は今幸せだと思うと、幸せな状況を創りだします。
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本当に時間は存在するのか? [スピリチュアル]

スピリチュアルな世界では、時間は存在しない。時間とは幻想であり永遠につづく現在があるだけ・・・と言っていて、私たちの理解を超えてしまうのですが、現在の物理学の世界でもこの時間をどう理解するのかが大きな問題となっているようですね。

これは「時間とは何か?」「時間は存在するのか?」をテーマとしたディスカバリーチャンネルの番組です。
こういうの好きだなぁ。
いつかは時間とは幻想に過ぎない・・・という結論に達してしまうのでは、と思っています(^^)


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ゆとり教育に思う [スピリチュアル]

最近、若い人の行動にイラつく大人が多いようだ。
私自身はかなりの年配ですが、そのイラつかれる類の人間になるだろう(^^)

その原因として、「ゆとり教育」によって育った子供が今、大人になっているから・・・・、という説明がありました。
なるほど!

今、世間ではその「ゆとり教育」は失敗だったという評価がもっぱらなようです。
私は個性を伸ばし、競争意識から仲間意識を持てる「ゆとり」を持たせようとする教育は大いに評価していました。

しかし、世の中はまだまだ競争の真っただ中で動いているため、それを受け入れる「ゆとり」などなかった・・・・ということだと思います。
だからといって、「ゆとり教育」が誤りだったとは考えていません。
それこそ、前に書いた時代とともに変わる価値観の新たな芽生えだったのだと思うのです。

いつかは、競争(一人ひとりはバラバラで比較することから個を主張する)から、一体(一人ひとりは個性を持ちながらも全体としてひとつの仲間であるという意識)へと変わるのだと思う。

今までの歴史、社会の動きを見ている限り、それは遠い未来のおとぎ話としか思えない話で終わってしまうかもしれませんが、はたしてそうなのだろうか?

今、時代は大きく揺さぶられているように思う。
この揺さぶりはさらに思いもよらぬ大きな動きになる可能性があると思うのです。

大震災により「絆」がキーワードになり、私たちの意識が結びつき始めたのと同じように、世の中の混乱、閉塞感は新たな時代への前兆とも思えるのです。
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個の判断が時代を変える [スピリチュアル]

ものごとの「何が正しく」て「何が間違い」かは、私たち一人ひとりがよく考えなくてはならないことですね。
私たちは子供のころから、周囲から「これは正しい」、「それは間違い」といろいろなことに対して教えられ、それを当然のように受け入れてきました。
ものごとに私たちが判断を下す以前にすでに、「正しい」ことと「間違い」が決まっていたんですね。

しかし、自分にそういう判断を教えてきた周囲がいつも<正しい>とは限らないのです。
はたしてすべての状況において<正しい>と言えることがあるのか・・・・それもわからない・・・。

時代の変化とともに、人の価値観も変わり、今まで正しかったことが悪と判断されたり、その反対のことも起こります。
結局のところ、それは、<今の段階では世の中の流れが「正しい」と判断している>という以上のことは言えないのではないだろうか?

変化が少しずつ起きているとき、新たな価値観を持ち始めた人たちは<悪者>と判断されることもあります。

私たちは常に自分に問う姿勢を持つことが大事だと思います。
自分の心の奥でそれをどう感じるのか、周囲の判断や過去の判断に頼らず、今自分はどう感じるのか?

時代とともに変化してきた価値判断はそういう、<個>の判断を信じた人たちによって変わってきたんでしょうね。
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時間も空間もない世界? [スピリチュアル]

過去も未来もなくて、あるのは今(現在)だけであるという、時(時間)の問題の理解はスピリチュアルの言葉の中で、一番難解なものだと思う。
気づき(悟り)に至った人は皆、「そこには時間はない」と言いますが、この時間がない世界というものは私たちには想像ができないのです。

私たちは過去や未来に思い煩うことなく、また縛られることもなしに「今」を生きることが大切であることはよくわかります。
でも、そもそも時間というものは究極の現実ではないのだ、というのはどうしても想像ができないのです。
それは過去も未来も同時にそこに存在している・・・・ということですから。

このことを考えるとき、私たちの宇宙がビッグバンから始まって、その時にはじめて時間と空間が生じたという説はとても興味が湧きます。
ビッグバンの前、時間も空間もない世界とは何なのか? は科学者も頭を悩ませる問題でしょうね。

<究極の現実>からみると、私たちの現実とは幻想にほかならない(色即是空)ということですから、この現実に生きている私たちに時間のない世界を想像・体感することはどんなに難しいことかは理解できます。

ただ、それを理解するかどうかで私たちの現実の人生にも影響を及ぼすことは確かですね。
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感情ではなく、ただ反応しているだけ [スピリチュアル]

理性がつくりあげた、まがいものの感情というのはどんなものだろう?

私たちは生きている中で様々な感情らしきものに出会います。
怒り、嫉妬、妬み、失望感、喜び、充実感、幸福感などいろいろです。
でも、そのほとんどが理性が作り上げた<まがいもの>なのかもしれません。

よくTVドラマなどを見ていると、似たような場面で、劇中の役者は同じように涙したり、怒ったり、喜びの声を上げたりするのですが、それは理性で作り上げられた脚本がそうなっているだけで、この場合にはこの反応、別の場合にはこの反応という公式が出来上がっているかのようです。

そもそも、ものごと自体は中立であり、それに良いとか悪いとか意味づけするのは私たち一人一人の問題なんですね。
ところが、周囲でまるで公式のように同じ反応する様子を見ていると、知らない間に自分も同じ反応をするようになってしまいます。

でも現実にその場面になったとき、私たちは別の感情をいだくかもしれないのです。
同じものごとに対して違った意味づけをするかもしれないからです。
もしかしたら、何の反応もできずに立ち尽くすだけかもしれません。

そういった、過去の経験や周囲の反応とはまったく関わりなく感じるもの、それが本当の感情なんでしょうね。
感情と反応・・・・、自分で自分を観察できないとその違いを知ることは難しいですね。
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伊藤守氏の本 [スピリチュアル]

先日、本棚の奥にあった本を何気なく開いて読んでいたら、それぞれの言葉が的確に心に触れてきました。
あっ、これもそうだったんだ!!
伊藤守著の「今日を楽しむための100の言葉」と、「今日が新しくなる小さな辞典」という小さな本です。

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もうかなり前に、たまたま本屋さんに並んでいたのをチラッと見て、気に入って購入したものです。
とにかく短い言葉がちりばめられているだけなので、すぐに目を通して、本棚に入れっぱなしになっていたんですね。

後に、神との対話シリーズにすっかり癒されて、ものごとが見えてきて、あらためてこの本を言葉を読んでみると、これも同じだったんですね。

<気づき>というのは唯一の状態ですから、多くの人がそれぞれ違ったアプローチで私たちに同じことを伝えようとしてきたんですね。

伊藤守氏の本の言葉は、深い意味をもっていながら、ちょっとお菓子をつまむような感じで(変なたとえだな(^^;)私たちに癒しを与えてくれます。

調べてみると、かなりの数の本を出していたので、古本をまとめて取り寄せました。
そのうち、これらの言葉も紹介したいと思います。
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<行動する>から<在る>へ [スピリチュアル]

> 魂にとっては、どんな行動をするかではなく、その間どんなふうに在るかだけが大切だ。
> 魂が追求しているのは在り方であって、何をしているかではない。

多くの人の価値観では、世の中で<成功する>というのは<行動することによって得られた結果が周囲の人に認められた>ときなのではないでしょうか?
だから、どういう行動をしているかがとても重要な部分になるわけですね。

しかし、私たちの本質である魂にとっては、それはどうでもいいことだ・・・と言われると、かなり衝撃的ですね。
<どんな行動するか>ではなくて、<どんなふうに在るか>が求めているものだと言っています。

昔の修行僧は洞窟の奥で座禅をして悟りの道を歩んだそうで、今でもその暗い洞窟が残されています。

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これは行動によらず自らの内面に意識を向けることで<悟り>という<成功>への境地にたどり着こうとしたわけですね。しかし、今の私たちが同じような道を歩むことは難しいですね。

では、私たちが行動することの意味は何なのでしょう?

それはきっと、行動するという体験によって、在るという状態への気づきに近づくことではないのでしょうか。
修行僧は外界を断ち切ってその状態に近づこうとし、私たちは逆に人間関係の中での体験を積み重ねて同じ状態に近づこうとしている・・・と、そんなふうに私は理解してます。

<行動すること>から<在ること>への価値観の変革は私たちに残されている大きな課題でしょうね。

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自由だからこそ自分で決める [スピリチュアル]

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TV番組の「家政婦のミタ」で、「それはあなたが決めることです」という決まり文句がありませんでしたっけ?
まさにこの言葉が人生の神髄にある言葉だったんですね。

自分が考え、自分の価値観でものごとを選択していくこと、そのことが<創造する>という行為だと言っていますが、
私たちのほとんどは創造する行為をしていないことになります。

私たちの考え方、意見、価値観のほとんどが、知らず知らずのうちに環境から植えつけられているだけなのを自覚していないことがあまりにも多すぎます。

「そんなの当たり前でしょ」という言葉に注意しないといけないですね。
なぜ当たり前なのか、実は深い根拠などない場合もあるのです。

また「それは決まっていることだから」という言葉も注意が必要です。
どうしてそう決まっているのか、自分は知らなくても、決まり事だから行動していることって多くないですか?

実は私たちにとって<決まり事>がある方が楽なのです。
何も考えずに、その通りに行動していれば周囲との摩擦を生じなくてすむからです。

「本当は違うのではないですか?」などと、自分を表現し出すと、「よけいなことは考えるな」と言われそうな雰囲気があったりしてね。

でも、<自分で考える>ということは、自分は<自由である>からこそできることなんですね。
私たちは本来<自由な存在>であると、もう何度も何度も聞いているのに、自ら自由ではなく束縛を選ぶなんて、したくないですよね。


話が横道にそれますが、
多くの組織的宗教は自分で考えることを否定します。
そこでは<何をすべき>か、<何をしてはいけない>か、すでに神に相当する存在が答えを与えているからです。
自分で考え、自分の価値観で行動することは、その宗教が絶対と考える存在に対する冒涜であるとされてしまいます。

自分に自信をなくし、自分が信頼できないと感じるとき、人は自分の代わりに答えを与えてくれる誰かに頼りたいと思います。
そこに、答えを与えてくれる何かが現れるわけですが、そのことで逆に<自分を信頼できない>状態から抜け出せなくなる場合があります。
もしかしたら、その誰かは、あなたが自分で考え、自分の価値観を持つことを嫌っているかもしれないのです。

私たちが忘れてはならないのは、自分で考え、自分で答えを出すことを否定するような環境に自分がいると感じたら、そこは自分にとってふさわしくない場所だと気づくことですね。

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曹洞宗の道元という人 [スピリチュアル]

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今日は親戚の法事があり、曹洞宗のお寺に行ってきました。曹洞宗は禅宗の宗派とされているようです。
そこでの住職の話がとても気に入りました(^^)

仏教にはさほどの興味があるわけでもなく、詳しいことも知らなくて、普段は話があってもあまり関心することもなく、ほとんど聞き流しでいるのですが(^^;、今日は「なるほど!」でした(^^)

それは<即心是仏>という教えです。
多くの仏教のイメージでは、死んだ後に成仏するという考え方ですが、曹洞宗では生きているうちに仏と成る(成仏する)ことを教えていたんですね。
ですから、死んだ後の<未来>ではなく、<現在>(いま、ここ)を大事にするとのことでした。

スピリチュアルな考え方、まさにそのままなんですね。
「神との対話」の中でも、さまざまな形で同じことを繰り返して言っているものです。

つい最近紹介した言葉
「あなたがたは経験しているよりずっと大きなことを知っている。ただ、自分が知っていることを知らないだけなのだ。」
という言葉もそうですね。
自分が知っていることを、すべて知ったとき、それこそが成仏そのものなんでしょうね。

<般若心経>もそうですが、<即心是仏>といい、すでに昔からそのエッセンスをそのまま伝えようとした人がいたわけですね。

曹洞宗の開祖である道元は、宗派をつくることを禁じていたそうです。禅宗の一派とみられることも嫌っていたとか・・・
彼は「すべてはひとつである」ことを知っていたんですね。

道元という人が好きになりました(^^)
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自分が決めるということ [スピリチュアル]

今日の「規則をつくるのは、あなた方自身だ」の言葉は好きですねぇ。

私たちはずっと子供のころから、「自分は未熟だ」ということを前提に、数々のことを教えられ、また自分の行動を矯正させられてきました。
さらに、ほかの人と比較されながら、常に賢く、強く、正しい行動をすることを求められてきました。

そんなわけで、いつの間にか私たちは自分の行動の基準、何が正しくて、何が好ましい選択であるかを外側の目から判断することを当たり前のように受け入れてしまいました。

その最も高いところに存在するのが「神」という概念になっているのですが、その神に「あなたがた自身が決めることだ」と言われたら、私たちはどこに拠り所を求めるのでしょうか? やはり自分の周りの目や意見なのでしょうか?

私たちは<自由>であるからこそ、<自分自身で決める>ことが大切なのではないでしょうか。
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とても重要なキーワード [スピリチュアル]

理由はないのですが、なんとなく<これを書かなければ・・・・>という気がしたので(^^)、とりあえず書きます。

「神との対話」という本の中で、

<神>、<生命>、<愛>、<無制限>、<永遠>、<自由>

これはみんな同義語であり、同じものであると言っています。
そして、このどれにもあたらないものは、ほかのどれでもないと言っています。

これはとても重要なキーワードですね。


私たちが<愛>を語るとき、どこかに制限があり、自由でないことに、多くの人が<疑問に思っていないこと>に気づく必要があります。

たとえばよくあるフレーズに、「何々をしてくれるあなたは好きだけど、何々をしてくれないあなたは嫌い」というのがありますが、このキーワードを理解していれば、明らかに愛ではないことにすぐ気づきます。

これを変形して、「あなたを愛しているけど、私がしてほしいことをしてくれないから私は怒っているのです」というのも同じことですね。キーワードを理解していれば、<愛しているけど>というのは偽りであることがわかります。

なぜなら、<愛>=<自由>だからです。

私たちはいつも、自分の思い通りに他の人が動いてくれることを期待していますが、基本的に自分以外の人は自由に選択ができるわけで、ほかの人の選択に対し自分の選択を押し付けることはできないんですね。

私たちが責任を負える選択ができるのは自分自身だけなのです。だから、相手の選択に対して自分はどう選択するのかということしかできないのです。

世の中の(見せかけの)愛のほとんどは、実際には<ギブ&テイク>であり、<何々するから、何々してほしい>、というのを表現しているだけのことに気づかなければいけません。


相手の自由を守ってあげたいから、自分にとっては犠牲と見える行為をすることはよくあります。でもこのとき自分は犠牲になっているとは考えてはいません。それは自分の選択のひとつだからです。

ところが、「私を愛しているなら何々をして」となると、外から見える行為は同じに見えても、内容はまったく異なることに私たちは気づかなければいけません。このフレーズを聞いたら注意しましょうね(^^)
<愛>という言葉を利用して、愛ではないことを実現しようとするのは、まさに愛に背いた行動と言えますね。


もう一度確認しましょう!

神 = 生命 = 愛 = 無制限 = 永遠 = 自由

これらはみんな同義語であり、同じものです。
このどれにもあたらないものは、ほかのどれでもありません。
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静寂の中にいること [スピリチュアル]

スピリチュアルの言葉を読んでいて、必ず語っているのが、<すべての答えは自分の中にある>というものです。
私たちは困ったときや大きな判断をするときは、自分だけでは不安になって、周りの人の意見を仰ぐというのはよくあることなのですが、本当は自分自身の中に問いかければその答えが返ってくる、というものです。

すぐれた心理カウンセラーというのは、対話の中で相手の言葉を引き出しながら、相手が<知っている>はずの答えに気づかせてくれる人なのでは、と私は思います。

また、ある人は、大きな決断をするときは大きな木に寄り添って問いかけると、その答えが心の中に返ってくると言っていました。

私たちの心の奥底には、私たちには気づかない大きな智慧がそなわっている・・・・というよりも、すべての人はその大きな智慧とつながっているのかもしれません。

私自身は10年ほど前に、生まれ育った家を建て替えるという大きな決断をしました。それまで動き出そうとしても家族との意見が合わずに延び延びになっていたのです。そしてある朝、布団の中でふと、<いまが建て替える時だ>と突然に感じたのが大きなきっかけだったのですが、それからは順調にことが進んだのであります(^^)

こうした自分自身への問いかけ、智慧とのつながりというのは、とても小さな小さな声として私たちに話しかけてくるそうです。ですから無心にならないとそれを聞くことはできないんですね。

家の設計をお願いしていた担当者が、プランが煮詰まらなくてアイデアが出ないときは、しばらく仕事を忘れて遊びに?行くと言っていました。そうすると、ふとアイデアが浮かぶことがあるそうです。
また、寝る前にインスピレーションが浮かび、忘れないうちにメモに残したものが素晴らしい結果を生む、という話はよく聞くことですね。

アイリーンが言っている、<静寂の中にいなさい>というのは、このことを言っていますね。

最近の人は、静寂の中にいるとか、独りでいるとか、立ち止まること(まるでものごとが止まったような場)を嫌う傾向があるのではないでしょうか?
常に忙しく動いていて、自分のテンションを上げていたい、誰かがそばにいて話す人がいないと不安になる、という人が増えているような気がします。

でも、そういう世の中の波に流されている間は、自分の中の小さな声に気づくことはできないんですね。
よく言うことですが、急ぎ足で歩いているうちは、道ばたに咲いている草の花の美しさに気づくことはできない、ということです。

少なくとも、大きな決断をするときは、立ち止まり、他の人の言葉ではなく、自分の中に答えを見つけることが大切ですね。

瞑想というのはまさに<立ち止まる>ことだと思うのですが、OSHOも言っていたように、瞑想は静かに座禅することだけではないんですね。
歩いたり、走ったり、日向ぼっこをしたり、音楽をきいたり、海を眺めたり、森の中でくつろいだり、さまざまな方法があって、それらはすべて心を静かにして無心になることにつながるんですね。
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スポーツと統合について思う [スピリチュアル]

このところ、サッカーとかバレーボールとか「ニッポン、ニッポン」という応援が盛んですね。以前はサッカーなど何の関心もなかった奥さんも最近はサッカーの大きな試合になるとTVを見ています(^^)

私はというと、ほとんど興味がありません(^^;
国家間で戦争をすることは誰もが反対しますが、スポーツで戦うことは健全・・・という考え方がほとんどですね。でも、どうもそういう気にはなれないのです。

どうして「ニッポン、ニッポン」と応援するのだろうか? それはたまたま自分が日本に生まれたという理由にすぎないと思います。もしアメリカに生まれていたらアメリカを応援するんでしょうね。

でも、選手はどの国の人もそれぞれに厳しい練習をして、それぞれの人生があり、みな頑張っているのです。そこでたまたま自分が生まれた場所を理由に、特定の選手だけに<肩入れする>気持にはなれないのです。

スポーツそのものは健全であり、私たちにとって必要なものですが、そのスポーツが勝敗を目的としたときから、まったく性格の異なったものになってしまうような気がします。
スポーツに参加した人たちが、みな笑顔で終わる・・・、それがスポーツをやる意味であり、私たちの健康に貢献するわけですが、多くの人が精神的に打ちひしがれて終わるといのは、どういうことなのだろう。

近代オリンピックの父と言われたピエール・ド・クーベルタン男爵は、セント・ポール大聖堂のタルボット大主教が語った、
「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」
という言葉をよく引用したそうです。また、
「自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそがアスリートの義務であり、最も大切なことである」
とも言っていたそうです。
近代オリンピックは崇高な理念のもとに始まったようですね。
でも、今ではすっかり<勝たなければ意味がない>スポーツイベントに変わってしまいました。

<私たちはみなひとつ>
これがスピリチュアル的な統合という考え方ですが、私たちはどこまで自分と同じと考えるかによって、その社会の成長の度合いを推し量ることができるそうです。

あなたが自分と同じと考えるのは、
家族ですか?
さらに友だちを含みますか?
さらには会社の仲間も含みますか?
そして同郷の人たちも含みますか?
あるいは日本人であることを含みますか?
それともアジア人であることまで含みますか?
あるいはこの地球に生まれた人であることまで含みますか?
さらには宇宙のすべてを含みますか?

スポーツ競技を観戦するとき、私たちは▲▲ではない△△である、という個別化された自分が強調されていませんか?
かつて、敵国を作る(戦争する)ことで愛国心に目覚めさせて国内の混乱を収める、ということを考えた人がいますが、<私たちではないもの>を作ることで<私たちを統合させる>というのは、はたして成長したことになるのだろうか?
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スティーブ・ジョブズの言葉 [スピリチュアル]

スティーブ・ジョブズについて、いままでまったく知らなかったのですが、このところの報道で彼の言葉を聞いているとまるでバシャールの言葉を聞いているような感じなんですね。
彼はスピリチュアルな人生を生きてきた人だったんですね。

以下彼の演説から抜粋
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人生には頭をレンガで殴られる時があります。しかし信念を失わないこと。
私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛しているからということに他なりません。
君たちも自分が好きなことを見つけなければなりません。それは仕事でも恋愛でも同じこと。
これから仕事が人生の大きな割合を占めるのだから、本当に満足を得たいのであれば進む道はただひとつ、それは自分が素晴らしいと信じる仕事をやること。
さらに素晴らしい仕事をしたければ、好きなことを仕事にすること。もし見つからないなら探し続けること。
落ち着かないこと。心の問題と同じで、見つかったときに分かるものですし、愛する仕事というのは、素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに自分を高めてくれるものです。
だから探し続けること。落ち着いてはいけない。

自分がもうすぐ死ぬ状況を想像することは最も大切な方法です。
私は人生で大きな決断をするときに随分と助けられてきました。なぜなら、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなど、ほとんど全てのものは…死に直面すれば吹き飛んでしまう程度のもので、そこに残るものだけが本当に大切なことなのです。
自分もいつかは死ぬと思っていれば、何か失うのではかないかと危惧する必要はなくなるので、私の知る限りの最善策です。
失うものは何もない。思うままに生きてはいけない理由はないのです。


君たちが持つ時間は限られている。人の人生に自分の時間を費やすことはありません。
誰かが考えた結果に従って生きる必要もないのです。
自分の内なる声が雑音に打ち消されないことです。
そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従い、勇気を持って行動することです。
心や直感というのは、君たちが本当に望んでいる姿を知っているのです。
だから、それ以外のことは、全て二の次でも構わないのです。
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