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いつでも手放せるようにしておく [ライフレッスン]

<本来無一物>(ほんらいむいちもつ)

人間はこの世に生まれてくるとき、何も持ってはいません。まさに無一物の状態で生まれてきます。そして旅立つときも、何も持っていくことはできない。これが人間の真実であるということを、いつも心のどこかに置いておくことが必要だと思います。


 生まれてきたときには何も持っていないのに、成長していくにしたがって、そして欲望が芽生えていく中で、人はさまざまなものをもつようになります。気がつけば家をもち、車をもち、身のまわりにはものがあふれている。よく考えれば不要なものまで、とにかくたくさんのものに囲まれてしまっている。そんな生活を続けて行く中で、いつの間にかそれが当たり前だと感じるようになります。

 人間の欲望は留まるところを知りません。欲しいものを一度手に入れたからといって、それで満足することはない。手に入れた喜びはすぐに色あせてしまい、またすぐに次のものが欲しくなってしまう。それに加えて、一度手に入れたものは絶対に手放したくないと思ってしまう。失うということが恐ろしくなってしまうのです。

 今一度「本来無一物」という言葉を頭の中に思い浮かべてみることです。あなたは今、こうして生きているはずです。命があるのなら、そのありがたさを素直に感じることです。すべてを失ったとしても、ものは再び手に入れればいい。命さえあれば、誰もがやり直せるものだということを信じてほしい。
 裸一貫から始めるという言葉がありますが、この裸一貫こそが本当の人間の姿なのです。けっして心が折れてはいけない。絶対に生きることをあきらめてはいけません。小さな幸せを日々に感じながら、前を向いて歩いてほしいと心から祈っています。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より

※ 「禅の言葉」からの言葉の紹介は今回で終わります。
   また、合わせて、スピリチュアルな言葉の紹介も今回で当分の間、お休みすることにしました。
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心を鍛える場をもつ [ライフレッスン]

<直心是道場>(じきしんこれどうじょう)

「直心」とは自分のありのままの気持ちということ。自分が本当にしたいことという意味です。その「直心」がすなわち、人生における「道場」になる。「道場」とは、自らの心が生み出す修行の場です。そして人生の中に、自分を鍛える「道場」がなければ、人間というのは成長しません。


 前を向いて生きるために必要なこと。それは「発心(ほっしん)」をすることです。「発心」とは読んで字のごとく。心を発すること。やろうという気持ち、頑張ってみようという気持ちを強く持つことです。
 夢や目標をもつことは、実は簡単なことです。心にそれを思い描くことは誰にでもできるでしょう。大切なことは、その夢や目標に向かって一歩を踏み出すかどうか。それが前向きに生きられるかどうかの境目になってくるのです。
 自分が置かれた環境のせいにしたり、他人のせいにしたり、あるいは自分の能力にあきらめの気持ちをもったりする。そして結局は、何もしないままに無為な日々を過ごしてしまう。それは、後ろを向いて生きているのと同じことです。

 とにかくまずは始めてみること。やりたいという気持ちがあるのならやってみる。途中で挫折するかもしれない。夢にはたどり着けないかもしれない。でも、結果なんて関係ありません。やりたいことに向かって必死に歩むこと。向かい風に見舞われたとしても、自分を信じて歩き続けること。それが人生というものです。

 やりたいことをやるためには、楽しいことばかりではありません。いろいろなことを乗り越えてこそ、充実感が生まれてくるのです。やりたいことができない。その言い訳をする前に、まずは一歩踏み出してみることです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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比べることをあえてやめてみる [ライフレッスン]

<主人公>(しゅじんこう)

ドラマや映画で使う「主人公」とは少し意味が違います。誰もが自分自身の中に「仏」をもっている。それは「本来の自己」とも言うべきものです。もっとわかりやすく言えば、「自分の本当の姿」ということになるでしょう。その姿と出会うことこそが、自分だけの人生を生きるということです。


 生きるとはどういうことか。まさに根源的で難しい問いかけですが、考えてみれば人間の歴史とはその答えを探し続けてきた歴史でもあるのでしょう。人間が他の動物と異なるところは、ただ単に生命を維持して、子孫を残すために生きているのではないということ。自分は何のために生きているのか。自分が存在している意味はどこにあるのか。そのことを追及し、答えを探し続けることこそ、人間にしかできない行為ともいえるのです。

 ところが、人間はなかなか「主人公」に出会いません。自分と他人を比べようとするからです。周りとばかり比較して、喜んでみたり落ち込んでみたりする。そんなことをしていれば、本当の自分の姿に出会えるはずはありません。
 幼かった頃の自分を思い出してみてください。あなたが好きだったことは何ですか。どんな気持ちで毎日を過ごしていましたか。何を楽しいと思い、何を悲しいと感じていましたか。遠い日の自分の心と、もう一度向き合ってみてください。それこそが、本当のあなた自身なのです。

 子供の頃は、自分と他人を比べません。たとえ比べたとしても、そこに上下や差別などを生み出したりはしない。比べさせているのは大人たちです。必要以上に比べることは、結局は自分の姿を見失うことになる。ほんの少し、比べることをやめてみることです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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未来に続く道を歩き続ける [ライフレッスン]

<脚下照顧>(きゃっかしょうこ)

未来とは、遠くの方にぽつんとあるものではありません。現在の延長線上にあるものです。その場所にひとっ飛びで行くことはできないし、誰かが連れて行ってくれるものでもありません。自分の足で、自分の力で一歩ずつ進んでいくしかないのです。


 思えば子供だった頃、誰もがキラキラと輝く未来を夢見たものでしょう。大人になり、夢をかなえた自分の姿がそこにはあった。明るい未来が待っていることを信じて疑わなかった。しかし人生を重ねていくうちに、やがては現実という壁にぶつかる。そこで打ちひしがれ、自分の未来を信じることができなくなってしまう。もう自分にはキラキラとした明るい未来などないのだと。

 ならば尋ねます。あなたが思うキラキラと輝く未来とは、何ですか? 未来に夢を抱くことは、とても大切です。どんな小さな夢でも、私たちの心に一筋の光をもたらしてくれるものです。でも、夢がいきなり現実になることはめったにありません。そこに向かって歩き始めなければ、どんな夢にもたどり着くことはない。ただ立ち止まっていては、未来に輝く道を探すことはできないのです。

 いずれにしても思い通りにならない未来に対して、ああだこうだと言っていても仕方がありません。それよりも、まずは今できること、今するべきことに必死になって取り組んでみること。自分の足元にしっかりと目を向けながら、一歩一歩進んでいくことです。今この本を読んでいるあなた。きっとあなたは明日も生きているでしょう。ならば、明日という未来をよきものにするために、今日を全力で生きてください。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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先立った人の遺志を受け継ぐ [ライフレッスン]

<感應道交>(かんのうどうこう)

師と弟子が互いに心を感じ合う関係を築くという意味です。心が通じ合っていれば、たとえ師が亡くなっても、弟子は歩むべき道を見失うことはない。人は大切な誰かを亡くしても、心を感じることができる。肉体は存在しなくても、そこには心が残っています。


 肉親や友人、あるいは心から慕う恩師に先立たれる。自分の人生にとってかけがえのない人をなくすこと。これほどの深い悲しみは、他にはありません。納得することのできない理不尽な死に悲しみ。私たち人間というのは、その理不尽さと闘い続けてきたのです。
 理不尽な悲しみに見舞われている人に向けて、私は語るべき言葉をもっていません。ただ一つ言える言葉があるとすれば、それは「悲しみに背を向けないでほしい」ということです。悲しみに耐える必要などありません。亡くなった人を思い浮かべ、涙が枯れるまで泣くことです。
 この世に生を受けるということは、誰しも必ず旅立つときがくる。その真実を心に留めながら、思いきり慟哭(どうこく)することです。やがて涙が枯れ果てるその時が来るまで、周りをはばかることなく泣く。それは、弱いことでも恥ずかしいことでもないのです。

 亡くなったその人は、きっとあなたに多くの言葉を残しています。その言葉を一つひとつ思い出すことです。そしてその言葉をノートに記して、読み返してみてください。そこには深い愛情があふれているはずです。その言葉を抱きながら、あるいはその人の笑顔を写真で見ながら、前を向いて歩いていくことです。
 いちばん悔しい思いをしているのは、亡くなった当人です。その人のためにも、残された者は生きなくてはいけない。それが、先立った人の人生を受け継ぐということなのです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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日々の暮らしの中にこそ、真実はある [ライフレッスン]

<喫茶去>(きっさこ)

私たちの命は、この大宇宙で一つだけのもの。それもたった一回の限りあるものです。だからこそ、今という一瞬を大事に生きなければなりません。一杯のお茶をいただくときにさえ、無心になって喫すること。一瞬の積み重ねで人生は築かれているということです。


 私たちが生きている日常というものは、実に淡々として日々の繰り返しからなっています。ところが多くの人はその日常をつまらないと感じ、つい特別なことや刺激を求めるようになります。もっと楽しいことはないだろうか。こんな生活は退屈だと。
 しかしよく考えてみてください。一年のうちで、特別な「ハレの日」はいったい何度あるでしょうか。ワクワクと心が躍るような一日。そんな日は、一年に何度もあるわけではありません。何より、毎日のように「ハレの日」があったとしたら、もうそれは刺激的な日ではなくなってしまいます。家族旅行にしても、一年に一度か二度くらい行くから楽しいのであって、毎月のように行っていれば飽き飽きしてしまうでしょう。

 特別なお日ばかりを追い求めるのではなく、淡々とした日常の中に幸福を見つけることです。仕事や家事が一段落したときに、一杯のお茶を飲む。ほっと一息つきながら、お茶を飲むことだけに心を集中させてみる。「ああ、おいしい」という言葉が自然と口をついて出る。この瞬間にこそ、生きている実感が宿っているのです。
 「つまらないなあ」「何か面白いことはないかなあ」と口癖のように言う人がいます。こういう人は、自らが不満を生み出しているようなもの。足元を見ることです。日々の暮らしの中には、たくさんの宝石が散らばっているものです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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誰かのためにしてこそ、「生きる」始まり [ライフレッスン]

<一日不作 一日不食>(いちにちなさざれば いちにちくらわず)

いわゆる「働かざる者食うべからず」とは、まったく意味が違う言葉です。禅の作務と(さむ)いうのは、人が人であるための基本的行為を指します。人としてするべきことをする。社会のため、人のためになることをする。それこそが人間としての務めです。


 「自分はもっとこうしたいから、そうなるようにしてくれ」。会社や社会に対して要望ばかりを出している。そしてそれが叶わなければ、すぐさま他人のせいにする。最近の風潮を見ていると、自分の希望ばかりを叫ぶ人が増えてきたように思います。「給料が下がったのは役員のせいだ。もっと給料を上げてくれ」「就職できないのは政治の責任だ。政府が悪いのだから、もっと生活保護のお金を増やしてくれ」。要望ばかりを突き付けて、自分で解決する努力をしようとしない。そこには、大いなる甘えが存在していると感じます。

 もちろん、東日本を襲った大震災のようなものは別です。これは自分の力だけではどうしようもありません。日本国民すべてが手を差し伸べなければなりません。しかし日常的な困難などは、まずは自分自身で解決する努力をすることです。自分が為すべきことをしていないのに、他人の援助ばかりを待っていても仕方がありません。

 社会というのは、互いに支え合うものです。やるべきことを放棄して、支えられることしか考えない人が増えれば社会は成り立たなくなります。どんな小さなことでも構いません。今、自分ができることをする。小さな一歩でいいから、自分の足で歩き続けること。その姿を見てこそ、人は手を差し伸べようとするのです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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「社会」と、ときどき距離を置く [ライフレッスン]

<白雲抱幽石>(はくうんゆうせきをいだく)
白雲が、幽寂な石をただ抱くのみ。この禅語は、中国・唐代の僧である寒山が世間との関わりを断ち、一人静かに隠遁(いんとん)生活をした風情を表現したものです。人間は、ときには一人の時間を過ごす機会をもつべきだということを示唆しています。


 いつも誰かと一緒にいることが幸福で、孤独になることは不幸だ。孤独とはいけないことである。そう考える風潮があるように思います。そう考えるのは間違いです。どんなに社会の中で生きていたとしても、人間というのは孤独なものです。家族であれ友人であれ、すべてのことを分かち合うことはできません。なのに、無理やりに共に生きようとしたりする。その無理がたたって、大きなストレスになってくるのでしょう。

 たとえ社会の中で暮らしていても、ときには一人だけの時間をもつことです。それも、休日などに家にこもるだけではなく、一人きりの環境をあえてつくってみること。山や海に佇(たたず)み、自然の中で自分自身を見つめる時間をもつことが大事です。
 孤独になることは、すなわち、自分と社会の距離を冷静に見ることでもあります。どっぷりと社会の海に浸かるのではなく、そこから少し離れることで、悩みや懸念から解放されることもあります。「ああ、この悩みはたいしたことではないな」と思える。つまり、孤独になることで自己解放ができるわけです。

 孤独になることを恐れてはいけません。また、日常の中で多くの人たちに囲まれていたとしても、精神だけは孤独になることもできます。社会を拒否するのではなく、社会から一歩離れる。そんな感覚です。孤独と孤立は、別のものなのです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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人に頼ると、自分を変えられる [ライフレッスン]

<薫習>(くんじゅう)

季節ごとの衣替えの折、古来より防虫香というお香が使われていました。その香りが衣服に映り、とてもいい匂いになる。これが「薫習」の語源です。同じく、人間も互いに影響を受け合って生きています。だからこそ、身を置く社会やつきあう相手を選ぶことが大切になってくるのです。


 人間というのは、身を置く社会やつきあう人間関係に大きな影響を受けるものです。どんなに清廉潔白な人物だったとしても、悪い集団の中にいれば、いずれは悪に染まります。反対に最初は邪(よこしま)な考え方をもっていたとしても、周りに素晴らしい人たちがいれば、どんどんいい影響を与えられることになるのです。

 自分が尊敬できる人物を見つけ、その人についていくことです。そして、尊敬すべ人というのは、必ずあなたの傍らにいます。何も大きな業績を残したり、肩書のある人ばかりが尊敬の対象になるわけではありません。隣近所の中にも、尊敬できる人はきっといる。そういう人を見つけることです。

 また、自分を変えたい、今までの計画を変えたいと願う人も多くいます。ところが年を重ねてくると、なかなか自分の力で変えることは難しくなってきます。頑固にもなりますから、自分の努力ではかなわない。ならば、他人の力を利用して自分を変えてみてはいかがでしょうか。

 つまりは、他力本願です。もっと明るい性格になりたいと思うなら、明るい人と一緒に行動する。もっと仕事ができるようになりたいと思うなら、できる人と行動を共にする。他人が持っているいい香りを、自分に移してみることです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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私は私。あなたはあなた [ライフレッスン]

<水急不月流>(みずきゅうにしてつきをながさず)

「いかに水の流れが急であっても、その水面に映る月影を流すことはできない」という意味です。水の流れというのは、世間で起きていること。月影とは、自らの心を表しています。いくら世間に波風が立とうと、本来の自己は不動であることをいっているのです。


 情報が溢れる社会になりました。日々目にする情報の量は、50年前とは比べものになりません。それはよいことでもあるでしょうが、一方では知らなくてもいいことまで知ってしまう。いざ知ってしまえば、やはり人間ですからそのことが気になってくる。つい自分と比較してしまい、結果として心穏やかにいることができない。そんな時代になったのかもしれません。

 溢れる情報を鵜呑みにしないことです。たとえば、女性が仕事をするのは当たり前の時代になってきました。結婚して出産すると、すぐに子供を保育園に預けて仕事に復帰する。テレビでは連日、そんなバリバリ働く女性たちの姿が伝えられます。でも、それができる人もいればできない人もいる。自分には出来るのか。自分はどうしたいのか。それをしっかりと考えたうえで選択することが大事です。

 また、今は長寿社会で70歳でも80歳でも元気だと、メディアは喧伝(けんでん)します。テレビには元気なお年寄りがはつらつと映し出されています。それなのに、自分は元気がない。そう思って落ち込んでしまう。そんな必要はまったくありません。テレビは元気なお年寄りしか映し出しません。
 世間の波などは、横目でちらっと見るだけでいい。あなたがいいと思えば、それがいちばんです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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「評価」は、たいして重要ではない [ライフレッスン]

<動中静>(どうちゅうのじょう)

静かな心は、静かなところでしか得られない。これは一般的な考え方で、禅ではたとえ騒がしい日常の中にいても、静かな境地を保つことができると考えています。そして、周囲の声に惑わされないために修行を重ねているのです。


 社会の中で生きている限り、私たちはいろいろなものに惑わされています。自分の仕事がどう評価されているか。自分は周りの人たちからどう思われているか。嫌われたりしていないだろうか。その程度はさまざまですが、いつも周りが気になっている。それは、人間として当然のことでしょう。

 しかし、こうしたことに神経質になり過ぎると、やがては心を病んでいくことにもなりかねません。かといって、隠遁(いんとん)生活を送るわけにもいかない。社会といっさいの関わりを断って生きる。現実的にそれは不可能なことです。ならばいたずらに世間に惑わされないために、自分の心をコントロールしていくしかありません。

 たとえば、「評価」とは何か。それは周りがつくり上げるもので、自分があれこれとアピールするものではないのです。私はこれができる。私はこれほどまでに優秀だ。いくらそう叫んだところで、相手が認めてくれなければ評価にはつながらない。叫んでも評価されなければ、それが大きなストレスになるでしょう。

 そんなことは気にせず、目の前のことに一生懸命に取り組むことです。その結果として評価されればそれでよし。されなくてもまたそれでよし。一生懸命にやったという充実感があれば、評価なんて大して重要ではない。いっそ、そう考えてみてはいかがでしょう。世間の波から少し離れて、静かなる心を保ち続けることです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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呼吸を整えて、三毒を出す [ライフレッスン]

<無事>(ぶじ)

何事にも振り回されないことを意味します。
不要なことばかりに目がいき、それに振り回されている。それが悩みを生み出す原因となります。不要なものとは、仏教でいう「三毒」です。


 「三毒」とは、人間の心に巣食っている三つの毒のことです。一つは「貪(とん)」。何でも貪(むさぼ)るように欲しがる欲望。欲望が達成されなければ、どうしようもなくイライラとしてくる。こうして貪りの心に支配されると、人間は幸せから遠ざかっていきます。もう一つは「瞋(じん)」。これは怒りを意味します。ささいなことで怒りの感情を覚える。それを抑えることなく言葉に表したり、相手にぶつけたりすると、人との関係はいっぺんに崩れてしまうでしょう。そして三つめが「癡(ち)」。これは、愚かさのことです。常識や道徳心をもたずに、教養に欠けている状態です。

 この「三毒」を遠ざけることが、悩みを生まない一番の方法です。「三毒」が顔を出したら、まず呼吸を整えること。私は座禅を勧めます。心静かに座禅を組み、丹田呼吸する。それだけで気持ちが穏やかになります。

 もう一つのアドバイスは、自然の中に身を置くことです。海を眺めてみる。山の中で、鳥の鳴き声に耳を傾けてみる。大自然の中に身を投じたとき、欲望や怒りが愚かなものであることが見えてくる。自然が不要な悩みを洗い流してくれるのです。
 時間がなければ、通勤時に家を30分早く出て、または散歩に出て、道端に咲く花や小石を眺めながら歩く。家や心に悩みを閉じ込めていても、解決はしません。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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今日を生き切る [ライフレッスン]

<前後際断>(ぜんごさいだん)

私たちには必ず明日という日がやってくるでしょうか。人生とは何が待ち受けているかわかりません。突然の災害によって命を奪われることだってある。明日にも大きな病が見つかることもある。だからこそ、この一瞬を絶対的なものとしてとらえることが大事なのです。


 昨日、今日、明日。これらは一本の線でつながっている。一般的にはそう考えられていますが、禅ではそのようにはとらえません。とにかく最も大事にすべきは現在、今という瞬間です。それは今日という一つの点であり、その点が滞(とどこお)ることなくつながった先が明日ということです。人生は一本の線ではなく、いくつもの点が結ばれたもの。未来は、現在の延長線上にあるものではないのです。

 鎌倉時代、世は争いごとに満ちていました。そんな時代に生きる武士たちにとって、この禅語は心の支えになっていました。明日に戦が始まるかもしれない。そうなれば、自分の命は明日でなくなる。だからこそ、生きている今日という日を大事にしなければならない。まさに禅の精神が広く受け入れられていたのです。

 私が心から尊敬している禅師が、数年前がんを患(わずら)いました。お年でもあったので、私は心配して手紙を差し上げました。さっそくの返信には「おかげさまで、がんと一緒に楽しくやっています」とありました。この一言に私は心を打たれました。
 人生には理不尽なことが起こります。病気や老いばかりでなく、事故に遭うこともある。それでも、人は生きていかなくてはなりません。流れゆく時間の中で、自分自身の心を変えていくしかない。過去を振り返らないという覚悟。現在を生き切るという信念。それをもつことが、すなわち前向きに生きるということなのです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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「今していること」に集中する [ライフレッスン]

<喫茶喫飯>(きっさきっぱん)

お茶を飲んでいるときには、ただ飲むことだけに心を集中させる。ご飯を食べるときには、食べることだけに集中する。まさにお茶と自分を一体化させるがごとく、今という瞬間に没頭すること。これこそが、禅の考え方の原点であるのです。


 人は自分が楽しいと感じることをしていれば、自然と笑顔になるものです。その笑顔がないということは、辛いと思うことばかりをやらされているということかもしれません。一般的には、遊びは楽しくて仕事はしんどいものだと言われています。だから遊んでいるときには笑顔に溢れ、仕事のときには苦虫を噛み潰したような顔になってしまう。でも本当にそうでしょうか。

 たとえば、あなたが休日に大好きな絵を描いたり、テニスをしたりして楽しんでいる。そのときは、笑顔でいるはず。テニスをしているときが楽しいのは、テニスに没頭しているからです。テニスと自分がまさに一体化している。だからこそ楽しいわけです。仕事のことなどを考えながらやっていれば、どんなに好きな趣味でも楽しくありません。仕事も同じです。楽しそうに仕事をしている人というのは、仕事に没頭しているのです。

 人と話しているときにも笑顔が出てこない。気持ちがついていかない。それは、あなたがその人との会話に没頭していないからです。せっかく話をしているのですから、相手の話に一生懸命耳を傾けてみてください。相手が楽しいと感じていることを、あなたも自分自身のように楽しいと感じてみること。最近笑っていないなら、あれこれを考えずに、もっとシンプルに「今」という瞬間を生きることです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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無理に白黒つけない [ライフレッスン]

<青山白雲>(せいざんはくうん)

天地自然の中では、互いに対立して存在するものなど一つもありません。一見するとプラスとマイナスのように対立しているかに見えますが、実は互いに支え合うことで存在しています。プラスだけでは存在できないし、マイナスだけの世界もあり得ないということが「青山白雲」の意味です。


 怒りという感情を考えたときに、その原因の多くは価値観や意見の食い違いにあるものです。どうしてあの人はこんなふうに考えるのか、自分にはとても理解できない。この思いが感情的になることで怒りへと変わる。これは、一言でいえば何にでも白黒をつけようとするからなのです。
 白か黒か、正しいか間違っているか、あるいは善か悪か。ともかく白黒をはっきりさせようとするところに争いが生まれてきます。

 怒りの感情は、人間の心の中に本来もっているものですから、それをまったくなくすことなどできません。いろいろなことに対して怒りを覚えることは、当然のことでしょう。ただし、その感情をストレートに出していれば、たちまち人間関係は壊れてしまいます。そうならないための方法をお教えしましょう。

 怒りの感情が芽生えたら、すぐにそれを言葉に出さずに、まずはおなかの中に落とし込むことです。すっと息を吸って、何か呪文を唱えてみる。「怒ってはいけない」と三回、心の中で言ってみてください。「落ち着こう」でもいいし「まあ、いいか」でもいい。まったく関係のない言葉でもいいでしょう。自分なりの呪文をつくっておくのです。そして一瞬の間をおいて言葉に出せば、言葉の棘(とげ)がずいぶんととれているはずです。頭からおなかに落とすことで、怒りは半分になるものです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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執着の心を一瞬消すだけで、悩みはなくなる [ライフレッスン]

<放下着>(ぼうげじゃく)

たった一瞬であっても、いっさいの執着心が消える時間をつくること。これが「放下着」のいわんとするところです。


 悩みが生まれる原因は一つ。何かにとらわれているからです。欲望や夢、ときには人間にさえも執着してしまう。その執着心にこそ、悩みの発端があるのです。もちろんいっさいの執着心を取り払うことは容易ではありません。それは人間である限り、無理なことだともいえます。
 執着心をまったく持たないことはできませんが、それらを減らしていくことは十分に可能です。悩みを少しでも減らすための、三つの考え方を記しましょう。

 まず一つめは、人と比べないことです。いちいち他人と比較していると、比較したぶんだけ悩みが増えていく。要するに自分自身が悩みをつくり出しているのです。

 そして二つめは、自分にないものは求めないこと。人にはそれぞれに特手不得手があり、それが個性につながっています。できることもあればできないこともある。どうしてもできないと思うなら、別の道を探ることです。これは、人が生きるための知恵です。そして別の道を探るためには、自分の能力はどこにあるかを知ること。

 三つめのアドバイスは、ときには考えるのをやめてみること。悩みにつきあうのではなく、何も考えずにぼーっとした時間をもってみること。流れてゆく雲を眺めてみる。道端に咲く一輪の花に目を向けてみる。「気持ちがいいなあ。きれいな花だなあ」と。この空白のような瞬間が、実は私たちにとっては、とても大切なのです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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どうしようもないことは、流れに身を任せる [ライフレッスン]

<任運自在>(にんうんじざい)

世の中のすべてのものは、自ら運び動いています。自然を見ても、それはよくわかります。春になれば植物は芽吹き、夏に向かって花を開かせる。そこにたくさんの虫や動物が集まってくる。これらはすべて自然の計らいごとです。こうした大きな流れに任せて、人間も生きることが大事です。


 私たちはつい、物事に対して損得で考えてしまいます。これは得なのか損なのか。計算というものが生まれてくる。そして計算通りに運ばないところに、悩みが生まれてくる。あるいは物事に執着してしまう。これだけは手放したくない。これは絶対に手に入れたい。これもまた、思いが叶わないところに悩みが生じてくる。つまり人間のもつ悩みというのは、自らが生み出しているものが多いのです。

 悩みには大きく分けて三つのものがあります。一つめは、自分の努力で解決できる悩み。たとえば仕事ができない、家事が苦手だといったものです。これらは自分の努力で解決するしかありません。やる気になればできることです。もし努力さえもできないと悩んでいるとすれば、それは大した悩みではないということ。

 二つめは、悩む必要のない悩みです。欲しいカバンを買うお金がない。楽しことがない。やりたいことが見つからない。もしもこんなことに悩んでいるのなら、人生を無駄にしているようなものです。まずはこういう悩みを取り去ることです。

 そして三つめが、自分の力ではどうしようもない悩みです。自分自身や家族が病気になる。災害に見舞われる。そんなときには、自然の流れに身を委ねるしかないのです。人間にはとても及ばない見えない力。それに任せてみることも必要です。その中で生きる勇気を失わなければ、きっといい方向に運んでくれます。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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「済んだことは仕方がない」と思う [ライフレッスン]

<無一物中無尽蔵>(むいちもつちゅうむじんぞう)

「無一物」、つまり何もないところにこそ、「無尽蔵」、すべての可能性が秘められている。何もないところにこそ真理が宿っている。転じて言えば、何ものにもとらわれない心の中にこそ、すべてのものがありのままに映っている。これが「無一物中無尽蔵」の意味です。


 不幸にして、災害などで多くのものを失ってしまう。家や財産などもなくしてしまう。あるいは事業に失敗して会社を失ってしまう。それは精神的にも相当な打撃となるでしょう。でも、それが「すべてを失った」ことになるでしょうか。
 一生懸命に築いてきたものを失うのは辛いことですが、それはけっして「すべて」ではありません。人生の中で手に入れてきた一部を失ったに過ぎないのです。すべてを失うとは、すなわち命をなくすということです。命さえあれば、あなたが思っている「すべて」のものはいずれ取り戻すことができます。

 人間は本来、何も持たずにこの世に生まれてきます。そして生きていくうちに、いろいろなものを手に入れます。お金やもの、あるいは社会的な立場というものです。忘れていけないことは、手に入れたものに対して強い執着をもたないことです。いったん手にしたものを失いたくない。そう思えば思うほど、人間は不安に襲われます。

 多くのものを失ったときには、深い絶望感に襲われるかもしれません。一時はその絶望感に身を置いてもかまわない。しかし人間はいつか、歩み出さなければなりません。何かを失ったときには、もう一度きちんと周囲を見つめ直し、ゆっくりと呼吸を整えてみてください。悔やむ心に執着していると、前に進めません。済んだことは仕方がない。そう思える強さを、人間は生まれながらに持っているのです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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結果に執着しない [ライフレッスン]

<水到渠成>(すいとうきょせい)

水が流れるところには、自然に渠(みぞ)ができます。水の流れが止まってしまえば、たちまち渠はなくなってしまいます。無心になってひたすらに努力を続けていれば、必ず道は開けてくる。これもまた、人生の真理であるのです。


 仕事をしていく中で、できるだけ成果を出したい。それはごく当たり前のことです。
成果を出せばまわりから認められる。評価をされるというのは、人間にとってはとても大きな喜びにもなります。ただし、成果ばかり執着してはいけません。

 現代の日本は、あまりにも成果だけが重要視されるように思います。これはやはり、アメリカ型社会の影響だと私は思います。アメリカは多民族国家です。つまり、仕事の進め方のプロセスが人によってそれぞれ違います。仕事に対する考え方も、取り組み方もそれぞれです。そういう社会では、どうしても成果だけが評価の基準になってしまいます。言い換えれば、どんなやり方をしても、結果さえよければそれでいい。日本では、こうした考え方は馴染まないような気がしています。

 日本人というのは、結果を出すまでのプロセスを評価する民族です。一生懸命に努力をしたけれど、成果が上がらなかった。そういう人でさえも評価するという伝統があります。生きていくうえで、これは素晴らしい考え方だと思います。なぜなら、人生とは成果が出ないことの方が圧倒的に多いからです。努力が必ず実るとは限らない。それが人生というものです。でも、投げ出してしまってはいけません。努力の歩みを止めてしまえば、やがては生きる意欲もなくしてしまいます。そうなれば元も子もありません。成果は大事ですが、そこに執着しないことです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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自分を磨きに磨く [ライフレッスン]

<枯木裏龍吟>(こぼくのりゅうさん)

たとえ枯木であっても、強い風に煽(あお)られて竜のような鳴き声を出すという意味です。枯木は、一見何の役にも立ちません。邪魔なばかりで、存在さえ無駄だと思われる。しかし強い風で、その存在感はまわりの動物をも恐れさせられる。この世の中に、役に立たない人間など一人もいないということです。


 働くところがないと悩んでいる人の中には、二通りの人がいるように思います。一つは、自分がやりたいことと今いる職場が食い違っている人。いわゆるミスマッチです。もう一つは、自分に自信がもてない人です。自分には才能や能力がない。何をやってもうまくいかない。そうなれば、積極的に働く場所を探すことさえ躊躇(ためら)ってしまう。そんな人ではないでしょうか。

 ミスマッチの場合は、自分の考え方を変えること。誰もが自分の思い通りの仕事をしたいものです。でも、現実的にそれはとても難しいこと。ほとんどの人は、多少の不本意の中で働いているものです。それでも一生懸命続けている中で、仕事の面白さを発見し、いつの間にかそれが天職となっている。仕事とはそういうものだと思います。まずは目の前に与えられた仕事と真摯に向き合うことでしょう。

 そして二つめの自信がもてない人。どんな人間でも、この世に存在している意味は必ずあります。大きな仕事を為さなくてもいい。たとえ小さな働きでも、きっとそれが誰かの役に立っている。第一、仕事に大きいも小さいもありません。あなたが働く場所は必ずあります。世間の評価などに目を向けず、真っ白な心で探してください。受け身になるのではなく、自分の能力は自分で磨いていくことです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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「働く」とは、誰かのために仕事をすること [ライフレッスン]

<萬法一如>(ばんぽういちにょ)

人間を始め、すべてのものの根源は皆同じです。全部がつながり合って成り立っています。自分も家族も他人も、皆同じ。自分だけが幸せになるということはあり得ません。つながり合っているからこそ、皆が互いのことを考えながら生きる。それがこの禅語の意味するところです。


 あなたは何のために働いているのですか。どうして仕事をしているのですか。そう聞かれると、おそらく多くの人は「それは生活のため」「家族を養っていくため」「もっと豊かな暮らしをするため」と答えるのではないでしょうか。つまりは、お金を稼ぐために働いているということです。仕事をしてお金を稼がなければ、今の世の中では生きられない。子供を育て、幸せに暮らすためにはお金は必要です。ならば問います。もしも暮らしていくのに十二分なお金があったとしたら、あなたは働くことをやめるのでしょうか。もしも働く気がしない、働かなくても十分に食べていける。心からそう思うなら、働かないのはあなたの自由です。
 ただし、働くことの意味というのは、お金を稼ぐためだけではありません。目的のひとつにすぎない。最も大切なことは、自分が持っている特技や技術などを生かして、他人や社会のためになることをする。それこそが人間が働く意味なのです。
 社会のために、何かをすることです。あなたがしたことで、周りの人が笑顔になる。「ありがとう。助かった」と感謝してくれる。この喜びこそが、生きている実感だと思います。仕事イコール他人の喜びととらえてみてはいかがでしょう。きっとそこには、あなたができるものがあるはず。まずはそれを探すことです。働く気になれないというのは、人生に背を向けていることと同じです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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一人が好きということと、一人で生きることの違いを確認する [ライフレッスン]

<受身捨身>(じゅしんしゃしん)

私たちがこの世に生まれてきたのは、無数の因縁が結ばれた結果です。この地球という星に生まれたというのも、奇跡みたいなものでしょう。私たち人間は、まさに「身を受けた」存在。いただいた命だからこそ、他人や大自然のために尽くすことを、仏教の世界では「菩薩行」と呼びます。


 人間は、生まれるときも旅立つときも一人です。家族といえども、すべてを共にすることはできません。所詮(しょせん)人間は一人。突き詰めれば、そういうことになるでしょう。
 とはいっても、人は一人で生きていくことはできません。他人と関わっているよりも、一人で自由にしていた方が楽だという人もいるでしょう。でも、一人で生きていると思ってはいけない。一人では絶対に生きることができないことを知らなくてはいけないのです。
 あなたが今、生きていられるのは、目に見えないところでたくさんの人が支えてくれているからです。両親や兄弟と離れて暮らしていたとしても、遠くからあなたを一生懸命に支えてくれています。そのことに心を寄せなければいけません。そして、支えてくれる人に感謝をすることです。

 「自分が生きていられるのは皆の支えがあるから」。そんな気持ちと感謝さえ持っていれば、一人でいることは何も悪いことではないと思います。仲間と楽しむのが好きな人もいれば、一人静かな時間を過ごすのが好きな人もいます。それは単に性格の問題です。大事なことは、一人で部屋にいたとしても、心の中には家族や仲間の姿があること。そして、あなたを生かしてくれている自然に尽くすこと。ベランダの花に毎日水をやる。それだけで、感謝の気持ちは生まれてくるのです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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客観的に他人とつきあう [ライフレッスン]

<清寥寥 白的的>(せいりょうりょう はくてきてき)

心が透き通って明瞭である状態をいいます。自我や先入観にとらわれることなく、常に真っ白な心で接することで相手の真意がわかり、自分との接点を見出せます。意見や考え方をぶつけ合うのではなく、互いに接点を見つける心をもつ。こんな関係からは、絶対に好き嫌いという感情は生まれません。


 人は皆、自分が好かれる存在でありたいと願っています。嫌われてもいいという人でも、本心では好かれたいと思っている。当たり前のことです。そして、嫌われたくないという意識があるために、嫌われることにとても敏感になります。
 あなたがもしも誰かに嫌われていると感じていたら、その原因を一度冷静に考えてみることです。相手のことを考えても仕方がありません。おそらく、その原因は自我の強さにあるのではないでしょうか。「我が強い」という言い方がありますが、人間関係で起きる摩擦の多くは、この自我の強さによるものでしょう。

 自我を大事にすることは悪いことではありません。誰もが自分を大事にする気持ちがあるし、自分の意見や考え方が正しいと信じています。それがひいては自信につながっていくわけですから、自我を大事にするのは当然でしょう。
 しかし、大切にすることと執着することは違います。自我にこだわるあまり、他人の意見を受け入れない。不平不満を口にする。これでは周りから嫌われて当たり前です。

 不思議なことに、あなたが真っ白な心で接すれば、相手もまた素直な気持ちになります。自分を変えようとする努力をすることです。それでも嫌われたなら、もうその人と関わる必要はありません。わかってくれなかったのだと思えばいい。自我に執着することはいけませんが、自我をなくすこともないのです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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「自分の目」で見つめると、好き嫌いがなくなる [ライフレッスン]

<悟無好悪>(さとればこうおなし)

人は、とかく評判や先入観に縛られて他人を見てしまいます。そうではなくて、何ものにも縛られずに、あるがままの姿を認めていくこと。そうすれば好き嫌いなどは自然となくなってしまいます。これが「悟無好悪」のいわんとするところです。


 皆がいい人だと言っているから、この人は好きになれるだろう。あまりいい噂(うわさ)を聞いたことがないから、あの人のことは嫌いだ。自分自身の目で見てもいないのに、先入観で判断してしまう。こういうことは、よくあることです。
 そしてもう一つ。“タイプ”という決めつけが、人にはあります。「あの人は私の好きなタイプ。嫌いなタイプだからつき合うのはやめよう」。もちろんこれまでの自分の経験などから、ある程度好き嫌いはわかるかもしれません。しかし、人間のタイプとは一人ひとりが違うもの。同じような外見の人でも、まったく違うものをもっているはずです。

 その人を嫌いな理由。声や話し方、しぐさ、自分と違う価値観だから・・・・。あなたがかけている色眼鏡で、勝手にその人のことを決めつけてはいけません。まずは先入観を取り払って、自分の目でよく見ることです。悪い部分ばかりに目をやっていれば、誰のことも好きにはなれません。

 ただし、色眼鏡をはずして、いい部分を見つけたとしても、どうしても好きになれない人はいるものです。人間ですから、好き嫌いは絶対にあります。どうしても好きになれない人がいるなら、無理をしてまで好きになる必要はないと私は思います。ただし、嫌いになる必要もありません。無理をして関わることなく過ぎていけば、やがては疎遠になっていくものです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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「AかB」の発想をやめると、余計な比較をしなくなる [ライフレッスン]

<莫妄想>(まくもうぞう)

生と死。美しいか醜いか。善か悪か。豊か貧しいか。つい、人間は対立的に物事をとらえがちです。そして対立的にとらえることで、好き嫌いや善し悪しが生まれてきます。「莫妄想」とは、こうした対立的なとらえ方から抜け出しなさいという意味です。


 まったく嫉妬心を感じたことがないという人など、おそらくはいないと思います。では、どうして人は他人に嫉妬するのか。答えは簡単です。それは、自分と他人とを比較するからです。自分の立場と相手の立場を比べる。お給料の多さを比べる。家の立派さを比べる。ひいては子供までも比較の対象にしてしまう。そして、最終的には幸せ比べをやっている。他人の幸せを素直に喜べないというのは、他人と自分を比べているからです。人間とは、かくも比べることが好きなんですね。
 たとえば幸せにしても、幸せか不幸せかをつい決めようとします。私は不幸せで、あの人は幸せだと。ちょっと待ってください。どこにそんな根拠があるのでしょうか。お金がたくさんあれば幸せで、少ししかなければ不幸せなのですか。美しい人はみんな幸せで、そうでない人は幸せにはなれないのですか。
 人は人、自分は自分、自分の人生は自分だけのもの。他人のそれとはまったく別のものです。それを比較することは、冷静に考えれば無駄なことなのです。幸せそうにしている友人がいれば、心から「よかったね」と言ってあげることです。あなたが友人の幸せを祝ってあげれば、それはいずれあなたに還(かえ)ってきます。今いる環境の中で、一生懸命に生きること、あなたにしか見えない幸福が、きっと見つかるはずです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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友人に心を砕く [ライフレッスン]

<天地与我同根 万物与我一体>(てんちとわれとどうこん ばんぶつとわれいったい)

この世に存在するものは、すべて同根。自分と他人とは一体のものであり、そこに何ら区別はないという意味です。皆同じ人間であり、同じ心を持っている。そこに優劣などはないし、まして損得勘定などが入り込む余地はありません。


 そもそも真の友人とは何なのでしょうか。一般的に言えば、心を許し合う友人ということになるでしょう。何でも悩みを打ち明けることができて、互いに本音でつき合うことができる。自分のことばかりでなく、相手のことも考えてあげられる。
 こうした関係を築くためには、「損得を考えない」ことが必要でしょう。この人とつきあえば得をする。あの人とつきあっても何の得にもならない。さらに言えば、社会人になると、どうしても打算が入ってきます。あの人とつきあっておけば、いい仕事がもらえる。あのお母さんと友だちになれば、子供の学校生活もうまくいきそうだ。そんな計算が生まれてくるのも仕方のないことだと思います。

 しかし、そんな損得勘定が先に立てば、よき人間関係は築けません。冷静になって考えてみてください。あなたが得だと思ってつきあっている人は、何かのプラスになりますか。損をするから付きあわないと思っている人が、あなたに何かの被害をもたらしましたか。おそらくそんなことはないはずです。頭の中で考えている損得勘定というものは、実はたいした意味をもっていません。

 せっかく真の友人になれる人なのに、勝手な思い込みでその関係を失う。人生においてそれはもったいないことです。互いに尽くし合うことから始めれば、自然と関係は深まってくるものです。まずは、真っ白な気持ちで人と接することです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より

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緑の法則に則(のっと)る [ライフレッスン]

<花無心招蝶 蝶無心尋花>(はなはむしんにしてちょうをまねき ちょうはむしんにしてはなをたずぬ)

春になれば、蝶が花を求めて飛んできます。誰から学んだわけでもなく、至極自然に二つのものは結ばれています。これがいわば大自然の法則というもの。仏教の世界では、こうした自然の法則を「因縁」と呼ぶのです。


 縁というものは、誰にでも平等に訪れるものです。そしてこれは、人との縁だけではありません。仕事との縁もあるし、住む家との縁もあります。今勤めている会社や住んでいる街も、縁があってのことです。
 ところが厄介なのは、縁には良い縁とわるい縁があるということ、どちらと縁を結ぶかによって、人生は大きく変わるでしょう。素晴らしい人と縁を結びたいのなら、その人とつき合えるだけの魅力を自分自身が備えておかなければなりません。せっかくいい仕事と縁があっても、それをこなすだけの力量がなければ縁を逃してしまうことになります。

 そして縁というものは、一度良き縁を結ぶことができれば、どんどんとそれがいい方向に進んでいくもの。縁が縁を運んできてくれるのです。
 悪しき縁もそれと同じです。たとえば、ちょっとした夜遊びをしてそこで知らず知らずに悪縁を結んでしまう。気がついたときには犯罪に巻き込まれていた。そういう縁には早く気づき、すぐに断ち切ってください。

 今、自分が結んでいる縁を客観的に見つめることも大事です。皆さんはお正月に初詣に出かけるでしょう。初詣のそもそもの意味は、前の年に結んだ悪い縁を断ち切るということなのです。これまでの悪い縁を断ち切り、良き縁がやってくるようにお参りする。それがもともとの意味です。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より

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相手のことを、全人格をかけて信じる [ライフレッスン]

<以心伝心>(いしんでんしん)

「絆」とは、互いに断ち切れないほどの強い結びつきのことです。この結びつきはどのようにして生まれるのか・・・・。それは言葉や理屈のやり取りからではなく、言葉にはできない心を伝え合うことでしか生まれません。すなわち、「以心伝心」ということです。


 言葉なくしてもわかり合える。たとえば「絆」でいえば、親子の絆が一番強いといわれます。心からの信頼関係があるからです。親は子供を心から信じているという気持ちは、必ず子供にも届いています。これこそが強い絆の原点です。
 絆を結びたいと思うのなら、信じてもらいたいと思う前に、相手のことを全人格をかけて信じきること。互いに信じ合うことができなければ、たとえ親子でも絆は生まれません。親子だから絆があって当然。他人だから深い絆を望んではいけない。その考え方は間違いです。それはもともとあるものではなく、生きていく中で生み育んでいくものというとらえ方をすることです。そしてもう一つ。心から信じることができる相手かどうかを見極める目を養うことです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より
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励まし合える友人をつくる [ライフレッスン]

<把手共行>(はしゅきょうこう)

字のごとく自らの清らかな心と共に手を取り合って生きていくということ。苦しいときも悲しいときも、ともに分かち合って人生を歩める友人をつくることです。そしてこの信頼関係を育てるためには、時間が必要です。互いの気持ちを十分に伝え合い。理解し合ってこそ生まれてくるものです。


 友人ということに関して、最近少し気になることがあります。例えば小学校に入学したときに、「友だち100人できるかな」などという歌を歌っています。つまり、友だちは多いほどいいということを小さいときから教えているのです。そういう刷り込みの中で大人になっていくと、友人をたくさんつくらなくてはと強迫観念に襲われます。
友だちは多いほどいいというのは、現代社会が生んだ幻想だと思います。けっして数の問題ではありません。お互いに心から信頼し合い、尊敬できる友だちをいかにつくっていくか。それこそがいちばん大事なことなのです。

 人生というのは一人旅です。しかし一人では生きられない。互いに励まし合ったり助け合ったりしながら人は生きてゆく。そういう本当の仲間がいることが、尊い人生だと私は考えています。その時間の中で、もしかしたら関係が壊れてしまうこともあるかもしれない。しかし、それもまた人生というもの。相手が嫌がるのを追いかけても仕方がありません。「縁がなかった」というだけのことです。

 もし「本当の友人がいない」と嘆いている人がいるとすれば、それは自分の心を開いていないからでしょう。その人と共に歩みたいと思う人がいれば、まずは自分の心を開くこと。そして、たくさんの人に開く必要はありません。多くの友人と広く浅くつき合うより、数は少なくとも深くつき合うことです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より

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優しさを求める前に、優しくする [ライフレッスン]

<本来空寂>(ほんらいくうじゃく)

人は誰しも一人で生まれ、そして一人で死んでいく。病を患(わずら)うことも、老いていくことも、誰も代わってあげることはできません。たとえ家族といえども、それぞれが自分だけの人生を生きていかなくてはなりません。それが「本来空寂」の意味するところです。


 人間は、本来孤独なもの。だからといって、すなわち寂しいというわけではありません。孤独と寂しさは、また別の次元であるように思います。
 孤独というのは決してマイナスのことではありません。人間は孤独であるからこそいろいろなことを考えるし、他人に対して優しくなろうともします。孤独の中から生まれるものはたくさんあります。そういう意味で孤独感というのは、人間に与えられた「知」でもあるのです。

 一方、寂しさというのは、自分が置かれた状況のようなものです。優しさを求めても、自分のまわりに優しさをくれる人がいない。自分の気持ちをわかってほしいと思っても、それを話す人がいない。ほとんどの寂しさというものは、こうしたことに起因するのではないでしょうか。誰かと一緒にいても寂しさを感じるということもあるでしょう。これは、結局はその人と心が通じ合っていないだけのこと。もしかしたら、通じ合うような努力を怠っているだけのことかもしれません。本当に寂しいと思うなら、優しさを求める前に、まずは自分が優しくする。相手の気持ちを理解する努力をする。自分自身が行動を起こさなければならなないのです。

 孤独は取り払えません。それが人間の宿命です。しかし、寂しさは、心持ち次第で解決することができるものです。孤独と寂しさをいっしょにしないことです。

「禅の言葉」 枡野俊明著 大和書房より

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