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相対的な世界 [ライフレッスン]

あなたが相対的な世界――私が相対性の領域と呼ぶところ――に入ったのは、絶対の領域では経験できないことを経験するためだ。あなたが体験したがっているのは真の自分だ。だが、絶対の領域では、真の自分を知っていても体験できない。魂の望みは体験して知ることだ。絶対の領域では自分のどの面も体験できないのは、そこには自分ではない面がないからだ。

絶対というのはそういうことだ。絶対なのだよ。あらゆるもののすべてだ。アルファでありオメガで、その間は何もない。「絶対」には段階がない。ものごとに段階があるのは、相対性の中だけだ。相対性の領域は、あなたが素晴らしい自己を体験的に知ることが出きるようにと創り出された。絶対の領域ではすべてが素晴らしいから、素晴らしいということも「ない」。つまり、体験できないのだ。体験的に知ることができない。なぜなら、素晴らしくないものがないところで、素晴らしいということは体験できない

じつは、あなたはすべてと一体なのだ。それがあなたの素晴らしさだ! だが、すべてと一体である素晴らしさは、すべてと一体である間は知ることができない。だから、すべてと一体であることは何の意味もない。あなたはたんに「あなた」であり、その素晴らしさを体験できない。

すべてと一体である素晴らしさを唯一、体験できるのは、すべてと一体ではないという状況、あるいは状態だ。だが、絶対の領域ではすべてが一体だから――それが究極の現実だから――すべてと一体でないものはありえない。
しかし、すべてと一体ではないという幻想は可能だ。その幻想のために、相対性の領域が創り出されたのだ。「不思議の国のアリス」のようなものだね。そこでは、ものごとは見かけとはちがうし、みかけは真実ではない。


※ 今回から私の愛読書である<神との対話シリーズ>から、「神との友情」ニール・ドナルド・ウォルシュ著から言葉を紹介します。<神>という言葉自体にアレルギー反応を示す人が多いのですが(^^)、存在するのかしないのか?というのが問題なのではなく、語っている内容について私たちはどう思うのか?が大切だと思います。


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